歴代シンボルかかしです。
◇令和4年◇
◇令和3年◇
◇令和2年◇
◇令和元年◇
◇平成30年◇
◇平成29年◇
古坂大魔王扮するピコ太郎は「YouTube」上に『ペンパイナッポーアッポーペン』(PPAP) を投稿して以降、世界的なヒットをみせました。青森県青森市出身。青森県立青森東高等学校を卒業後、お笑い芸人を目指して上京、日本映画学校(当時)に入学し、そこで出会った2人とお笑いトリオ、底抜けAIR-LINEを結成。シンガー・ソングライター「ピコ太郎」に扮し、ピコ太郎(本人)のプロデューサーと称しています。
◇平成28年◇
松山 ケンイチさん。愛称は、松ケン。青森県むつ市出身。奥様は女優の小雪さん。現在は3人のお子さんを持つパパです。
方言は「下北弁」になるそうで、バラエティ番組で訛って話す姿に親しみがわいてきます。
数多い作品の中では、NHK大河ドラマ『平清盛』の出演。主演に抜擢されました。その他にど根性ガエルのひろし役、デスノートではL・竜崎役を漫画に上回る演技で魅了してくれました。たくさんの作品に出演していますので、これを機会に鑑賞してみてはいかがでしょうか。
◇平成27年◇
淡谷 のり子(あわや のりこ)1907年8月12日 - 1999年9月22日さんは、女性歌手。
本名:淡谷 のり(あわや のり)日本のシャンソン界の先駆者であり、ブルースと名の付く歌謡曲を何曲も出した由縁から「ブルースの女王」と呼ばれました。
1937年に「別れのブルース」が大ヒット、スターダムへ登りつめる。ブルースの情感を出すために吹込み前の晩酒・タバコを呷り、ソプラノの音域をアルトに下げて歌い、1953年に『第4回NHK紅白歌合戦』に出場、紅白初出場を果たしました。
1979年、津軽三年味噌(かねさ)のCMに出演。淡谷が口にしたコピー「たいしたたまげた!」(方言で「とても驚いた!」)は当時の流行語になりました。
晩年はフジテレビ「ものまね王座決定戦」の名物審査員として活躍。
1999年9月22日、老衰により死去しました。亡くなるまで、たくさんの作品を数々の曲を世に送り出した功績は今もなお、数多くの方の胸の中にあります。
◇平成26年◇
版画家棟方志功画伯の巨大案山子。取り付け作業20名。生誕111年を迎える版画家棟方志功がハネトの衣装を着て祭を楽しむ姿を再現した。高さ6m巾5mの巨大な姿。
棟方 志功(むなかた しこう、1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日)は板画家。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。
◇平成25年◇
80歳でエベレスト登頂を成し遂げた三浦雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 - )さんは、プロスキーヤー及び登山家です。
1966年4月、富士山での直滑降を成功させ、この時ブレーキとしてパラシュートを使用した映像から、後にパラグライダーが開発されたといいます。製作はねぶた師の北村蓮明氏。
◇平成24年◇
日本女子レスリングで活躍中の伊調馨さん(いちょう かおり、1984年6月13日 - )は、青森県八戸市出身。アテネオリンピック、北京オリンピックおよびロンドンオリンピック女子63kg級金メダリスト。身長166cm。ねぶた師が作成。
◇平成23年◇
サッカー日本女子代表は、日本サッカー協会 (JFA) により編成される女子サッカーの日本代表チーム(年齢制限のないベストメンバーによる代表)。愛称は「なでしこジャパン」。
2011年6月末よりドイツで開催されたFIFA女子ワールドカップでは、3-1で勝利して大会初優勝を果たし、日本中が歓喜に沸きました。
◇平成22年◇
勝ち名乗りを上げる相撲の行司をモチーフに「安全・安心」で「おいしい」「青森県産品」の価値(強み=勝ち)と「相撲王国 青森」のイメージが一つになって誕生した、青森県産品のPRキャラクター。
◇平成21年◇
太宰 治は、日本の小説家である。本名、津島 修治。1936年に最初の作品集『晩年』を刊行し、1948年に山崎富栄と共に玉川上水で入水自殺を完遂させた。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』。
◇平成20年◇
◇平成19年◇
かかし(案山子)は田や畑などの中に設置して鳥などの害獣を追い払うための人形のことです。